みなさん、はじめまして!SAP留学に、帰省に、工学英語と、ほとんどサッカー部の練習に参加できず、みんなから幽霊部員だと思われていないか、ひやひやした夏休みを過ごしていた1年の吉迫です。
まず初めに、先週の活動報告です。先週はIリーグは行われず、アウェーでの学生リーグのみ行われました。
10/14 1部リーグ vs岩手大学
結果:5 – 0 〇
得点者:鈴木港斗(三輪)、関根(三輪)、オウンゴール、小山(PK)、佐藤空(三輪)
この試合、負ければ順位が相手の岩手大学と入れ替わり、勝てば突き放して、自力での残留に大きく近づくという重要な一戦でした。そのような、精神的なタフさが要求される試合に見事勝利し、しかもスコアを見ればわかるように、内容の上でも相手を圧倒できたというのは、非常に大きなことだと思います。後期開幕後の2連勝で勢いが出てきた中で、次の仙台大学、富士大学戦に2連敗してしまい、勢いもここまでか、と思われても仕方がない状況になりつつあった中で、この試合に勝利できたというのも、チームとして重要なことだと思います。試合に出ていたメンバーも自分たちの力に確信を持てたのではないでしょうか。当の自分もこの試合を生で見ていたら、そのように感じたと思います。自分たちの力で引き戻したこの流れに乗って、次の試合も勝利し、自力残留、さらには、4位浮上も目指していきましょう!
ここからは話題を変えて、先週本間さんから振られた、留学の感想と自己紹介について書きたいと思います。
自分は本間さんと同じ工学部材料科学総合学科(マテ)所属の1年生で、出身は広島県です。なぜ広島から東北に来たのかを話すと長くなってしまうので、ここでは省略しますが、もし気になる方がいたら、直接自分に聞いてください。では、自己紹介のトピックとして、自分が中高6年間を過ごした修道高校とはどんな学校なのかを簡単に書きたいと思います。修道高校は創立290年を超える(アメリカ合衆国より歴史が長い)中高一貫の男子校で、OBの中には有名人も多くいます。その中の一人がロンドン五輪、リオデジャネイロ五輪でともにメダリストの山縣亮太選手がいます。彼の東京五輪での活躍にも期待したいところです。(余談:山縣選手がロンドン五輪に出場する前に、修道で壮行会を行った際、山縣選手の直筆サインをもらって、いま実家に大切に保管してます。)修道高校を紹介した理由はそれだけではありません。実はサッカーに関しても、少しエピソードがあります。修道高校は全国高校選手権大会で2回の全国優勝したことのあるかつての強豪校なのです(たしか30回と35回大会だったかな)。また、日本サッカー協会に殿堂入りされた方もいらっしゃって、自分もその方たちに恥じないようこれからも頑張っていこうと思います。
これ以上書いてしまうと長くなりそうなので、留学に話題を移したいと思います。自分はこの夏休みに3週間ほどアメリカのカリフォルニア州に行ってきました。そこで感じたことのうち、最も印象に残ったことは、日本とアメリカとでは歴史がまるで違って見えるということです。特にそれは太平洋戦争史の時に顕著に現れ、この戦争に関する考え方、とらえ方がやはり日本人とは違います。研修期間中に日系アメリカ人の博物館に行ったのですが、そこで見たものは、大平洋戦争時に日系アメリカ人が受けた仕打ちでした。彼らは、アメリカ人でありながら強制収容所に入れられ、また、日本人が敵である状況の中でもアメリカの兵士として勇敢に戦い、立派な武勲を挙げたにもかかわらず、それ相応の評価を受けなかったりと、様々な差別を受けたそうです。留学に行く前の自分は、このことを全く知らなかったので、話を聞いた時には衝撃を受けました。こういったことを知らずに太平洋戦争を語ることはできないように感じたし、人間はそのような状況下ではやはり非人道的になってしまうということを改めて感じました。また、アメリカの歴史においてもっとも衝撃的な出来事は、原爆投下などではなく、日本軍のパールハーバーの奇襲攻撃らしいです。
また、こういった経験を通じて感じたもう一つのこととして挙げられるのは、アメリカ人とは誰なのか、という問いです。日本人というと、いわゆる日本人というような人を想像することができますが、アメリカではそんなに単純にはいきません。人種も、宗教も、文化的バックグラウンドも多種多様であり、一概にアメリカ人ということはできないように感じます。自分はアフリカ系アメリカ人の家にホームステイしたのですが、自分以外の人の中には、アジア系、ヨーロッパ系、メキシコ系と実に多様なバックグラウンドを持っていて、また、家庭によって休日の過ごし方やライフスタイルも様々でした。その部分は、日本とアメリカとでは全然感覚が違います。
帰ってきて1ヶ月半が経過していて、あまり詳細には思いだせませんでしたが、以上が留学を通じて自分が感じたことです。カルチャーショックはなかなかのものがありました。
それでは次回のブログは、この夏休みに、自分と同じカリフォルニアに、留学ではなく旅行で行った、田中遼太郎君に渡したいと思います。よろしくお願いしますね。