あっ!しくじった


 どうも、東北大学学友会サッカー部4年、お笑い担当(仮)の舘野裕紀です。すいません、いきなり嘘つきました。いや、嘘でもないんですけど、、、というのも先日サッカー部のリフティングチャレンジに参加させていただいたのですが、気づいたらYou Tubeの方で私はお笑い担当(仮)と紹介されていました。中途半端に(仮)とつけられているのが少し気になるところではあったのですが、、、まあ、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

 先週のブログで、原君から私の写真が見たいというリクエストを頂きました。はじめは無視しようと思ったのですが、それはよくないと思ったので一応載せておきます。研究室での様子ですね。最近は大学院入試の勉強をずっとしています。ちなみにこの写真は同じ研究室の同期であり、去年までサッカー部に所属していた古賀君に撮ってもらいました。彼に「誰がお前の写真見たいんだよ」とズバッと言われてしまいました。たぶん原君だけですね(笑)いや、彼も別に興味ないと思います。今後はほとんどの人が得しないリクエストはやめてくれって思います。

 

 活動内容は先週と変わらないですね。オンライントレーニング、各自ランニング等という感じです。個人的には、いや、皆さんも思っていたと思うのですが、そろそろ全体練習が再開できるのではと期待していた矢先に、残念な報告を大学側から受けてしまいましたね。まだ再開はできない、段階的に制限を解除していくと。結論から言うと10月に入るまで以前のような活動は行えないようです。Jリーグや関東大学サッカーリーグがすでに再開されているだけに、ショックを受けました。ただ、同様の状況にある他の部活動と共に、各部の代表者が大学側と交渉しているようなのでそちらに期待しましょう。

 

 昨日たまたまテレビでしくじり先生という番組を見ていたのですが、ゲストとして出演されていた歌手の広瀬香美さんの経験談が自分と重なるところがあり、感銘を受けたのでそれについて書こうと思います。(言わなくてもいいことですが、私は広瀬香美さんのファンではありません)

 広瀬香美さんは1992年にデビューし、「ロマンスの神様」や「ゲレンデが溶けるほど恋したい」といった数々のヒット曲を持つ歌手でありますが、元々は作曲家を目指していたようです。しかし、作曲家としてはなかなかうまくいかず、バイト感覚で始めた歌手の方が思惑とは裏腹に売れていってしまったようです。世間は彼女を一流歌手として見る一方で、彼女自身は自分の好きなことができていない、望む形になっていないというギャップに葛藤し、とても苦しんだようです。ただある時に、その固執した考えや気持ちを切り替えて、歌手として生きていく覚悟を決めたようです。

 

 そして番組の最後に、この経験からこのような言葉を残しています。「やりたいことと、できることは違う。人の評価や意見を素直に聞いて自分の才能を好きになる努力を」と。

 

 ここまで雑な説明になってしまいました。詳しく知りたい方はABEMA TVの方に載っていたのでそちらを見てみて下さい。

 

 これを見て、私自身もスケールは違えど同様の状況が部活動においてあったなと思い出しました。

 もしかしたら部員のほとんどが知ってるかもしれないんですが、現在ポジションはDFですが、私が元々希望していたのはMFでした。1年生の夏頃にMFからDFにコンバートされて以来、ずっとDFをやっています。その当時はやはりMFにて、パスを受けて、出して、組み立てることでチームに貢献したいと考え、またそれが私の望む形でした。ただ、それとは裏腹に私は1年生にも関わらずトップチームにDFとして出場できる機会を頂くようになりました。1年生の頃は正直試合に出られるだけで嬉しかったですし、今は試合に出て経験を積んで、2年生になったらMFで活躍するぞっというモチベーションでいました。

 しかし、なかなか2年生になってもMFに戻れる気配はなく、一方で自分で言うのは難ですがDFとしての評価が上がっていき、試合でたくさん使っていただけるようになりました。正直に、DFとして褒められれば褒められるほど、MFが遠ざかるようで辛かったです。そしてDFで出場したくてもできない先輩がいるのにも関わらず、モチベーションの低い自分が試合に出られるということに対してとても申し訳なさを感じでいました。きっと誰もが、試合に出られるだけで幸せで、ポジションを選ぼうとするのは自己中心的な考えだと思うでしょう。私も頭ではそう理解していましたし、わがままな考えはやめようと思っていたのですが、それでも心の中ではMFで活躍したいという欲がありました。

 ただ3年生になり、周りの意見や評価を素直に受け入れられるようになっていきました。たとえ自分の望む形ではなくとも、チームに求められるのは嬉しいことですし、私だけしかできないことでどんどん活躍してやろうというモチベーションに変わっていきました。現在はMFでやりたい気持ちはゼロかと聞かれたら素直にうんとは言えないですが、それでもDFでやってきてよかったです。4年生で残り少ないですが、これからも自分のできることでチームに還元していくつもりです。

 

 今回の話はほかの4年生のブログと違って、ほとんどの人には理解してもらえないと思います。ただわずかでも、響いてくれる人がいたら嬉しく思います。そしてその人には、広瀬さんがおっしゃっていたように「素直に周りの意見に耳を傾けて、自分のできることでチームに貢献する」ことで幸せになる方法もあるということを頭の片隅にでも置いておいて欲しいです。

 

 最後は上から目線になってしまいましたが、お許しください。実はこの話は引退する際の遺言ブログで書くつもりだったのですが、萩原君と渡邉君につられて間違えて書いてしまいました。しくじりました。遺言ブログで何書くかまた考えないとですね。

 

 来週のブログは、私の自転車姿をパパラッチしちゃうほど、私のことが大好きな田村祥太郎君にお願いしたいと思います。よろしく!

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