【遺言ブログ④】悔しいなら本気出せよ


鮮やかに色付いた衣を身に纏った木々も日毎にその葉を落とし、かわりに吐く息が少しずつ色をもち始めました。こたつが恋しい季節となってきましたね。どうも、文学部4年の鈴木港斗です。最後のブログなので改めてカッコつけてみました。最後なのでお許しを。

ここ2週間は数年ぶりに、大学に来て一人暮らしを始めてからは初めて部活のない日々を送り、様々なところで生活の変化を感じています。

練習着をいれる大きさのビニール袋を取っておかなくてよかったり、洗剤と柔軟剤がなかなか減らなくなったり、カーペットから人工芝のチップから出てこなくなったり、濡れたスパイクの臭さに顔をしかめることがなくなったり。

他にもいくつかありますが、こう考えてみると部活がこれまでの僕の生活では当たり前になっていて、今はもうそれがなくなったんだということを日に日に実感しています。

しかし12月には大学最後の大一番、学年対抗戦が控えています。そこに向けて徐々にコンディションを上げていく予定ですので、練習にお邪魔した際は仲良くしてね。

さて、引退する4年7人による遺言ブログも僕で4人目。読んでくださっている皆さま、楽しんでいただけていますでしょうか?

カッコ良いことを書いた(自分のブログに自分でいいねする)菅野に、いきなり研究室の悪口を言うそんちゅーや、タイトルに【遺言ブログ】をいれる流れをガン無視する宗村と、最後の最後まで”らしさ”が出ています。まだ読んでいない方は、是非読んでみてください!

そして今回は僕の番です。自分の大学サッカー生活から学び、部員のみんなやこれを読んでくれている人に伝えたいことを2つにまとめました。かなり長文になってしまい申し訳ありません。4人目でちょうど真ん中ですが、中だるみせずお付き合いいただけると幸いです。

1つ目は、「一人一人にできることがある」ということです。

はい、出ましたね。聞き飽きたと言う人がいたらごめんなさい。

最終ミーティングでも伝えており繰り返しになってしまうのですが、東北大サッカー部がより強く、より素晴らしい組織になるために最も大切なことだと僕は思っているので、ここに書いています。なるべく簡潔に書くのでお許しを。どうしても時間がないという人は、2つ目にいってもらっても構いません…。

サッカー部の運営について、僕は自身の入学当初に比べ年々良いものになっていると感じています。「学生主体」という特徴を生かせる体制になりつつある、ということです。少人数が仕事をこなすことによって成り立っていた時代から、部員の多くが仕事に関わるようになり、部としてできることの幅が広がっています。特に今シーズンからは班制度がはじまり、分析班による戦術説明や練習メニューの提案、広報班による大運動会の実施や結果速報サービスplayer!の導入など、幾つも新しいことが始まりました。今シーズンの東北3位という結果には、少なからずこれらの取り組みが良い影響を与えていると僕は思っています。

そしてこういった取り組みこそが、部をより良いものに変えていける最良の手段だと考えています。より良いものというのは、組織としての素晴らしさという意味とサッカー面で強くなるという意味の両方を指します。後者については、組織として成長し続けている(と僕が感じている)ここ4年間はリーグ戦においても年々より良い成績を残していることが証明していると言えるでしょう。直接的・間接的にかかわらず、どんな取り組み・行動であっても好成績の要因の一つであるはずだと思います。

サッカー部という組織に所属する一員として、一人一人が当事者意識を持ち、部のために何ができるか考え行動を起こす。そしてその行動が何かしら部に影響を与え、それを後輩たちが引き継ぎ、より良いものへとしていく。

この連鎖によってこそ、選手が毎年入れ替わる部活動であり監督がおらず学生主体である東北大サッカー部が、サッカーの強さと組織としての素晴らしさを維持できるではないかと考えています。そしてこれによって、ただサッカーをする部活という存在から、近い将来、理念の一つでもある「東北を牽引する」集団へと変わっていけるのだと僕は信じています。

とはいえ、誰しもが素晴らしい取り組みを思いつくわけでもないだろうし、いきなり部のために行動しろと言われても難しいだろうとも思います。何をずっと抽象的なことばっか言ってるんだコイツは、という感じかもしれません。しかしそれほど難しく考える必要はなくて、例えば練習中に人一倍声を出すとか、後輩に一言アドバイスをするとか、そういった小さな行動もれっきとした「部のための行動」です。

ここまで偉そうに語った僕自身も、今シーズン意識していたことといえば「練習中メニュー間の移動を急いだりボールを集めたりすること」や「良い雰囲気を作るために必要があれば声がけをすること」などの細かいことです。練習を仕切る首脳陣のためであったり、チームの良い雰囲気作りのためを考えていました。正直これらがどれだけ部や後輩のためになっていたかはわかりませんが、ここで言いたいのは「意識して行動することが大切」だということです。

これは主将の経験から学んだことですが、おそらくみんなが思っている以上に一人一人の行動は(良くも悪くも)周りに影響を与えます。まだ1年だから…とか自分はそんなキャラじゃないし…と思っている人にこそ行動して欲しいし、そういった人たちの行動こそがチームを更に強くするきっかけになったりするのです。主将に口うるさく言われるよりも、同じ立場の部員や仲の良い先輩の行動にこそ影響を受けるものなんです。身近なところからでも周りに良い影響を与えること、これすごく大事。

限られた大学サッカー生活の中で、何も考えずにただなんとなくサッカーをしているだけというのは、少し勿体ない気がします。むしろ東北大に入るくらいには頭を使うことが得意な人たちだったら、もっとやれることは沢山あるはず。

繰り返しになりますが、部員一人一人が、身近なところからでも部のためにできることを考え行動すること。これを後輩に伝え、その連鎖を起こすこと。これによって、東北大サッカー部ってめちゃくちゃ強くてめちゃくちゃカッコ良い素敵なチームになれるよねって話。です。

ようやく2つ目です。もう少しだけお付き合いください。

2つ目は「悔しいなら本気出せよ」ということです。

ようやくタイトルについている話です。いきなり精神論みたいな話になりますがご了承ください。

僕は自分の大学サッカー生活を振り返った時に、それまでのサッカー人生と比べて悔しさを感じることが多かったことに気付きました。

レギュラーを奪われた時、試合で思うようにプレーできなかった時、懸命に練習しているのに試合で使ってもらえなかった時、必死に考えているのにどうしても結果が出なかった時、自分のやれることに対してやりたいこと・やらなきゃいけないことが多くキャパオーバーを痛感した時。

何度も何度も、悔しい思いをしてきました。

そしてその度に、それに対して自分が努力した分だけ、自分の努力が否定されるような、努力が無意味だったと思ってしまうような、苦しくて辛い感情に打ちのめされたりもしました。

特に主将を務めた昨年のリーグ戦前期。1年生にはわからない話で申し訳ありませんが、何をしても結果が出ず、前期が終わってみれば8チーム中最下位。自動降格圏です。目標だった5位という成績には程遠く、練習の雰囲気も悪かったように思います。居心地が悪かった後輩がいたらごめんね。今思えばもっとやれることがあったなあと思うのですが、当時の僕にはあれが限界でした。

高校でもキャプテンだったし副主将もやったし、自分にはできるだろう、なんとかなるだろうという根拠のない自信と薄っぺらいプライドが全て打ち砕かれるような、そんな経験でした。間違いなく、人生で一番悔しかった。

おそらくこれを読んでくれている人も、何らかの理由で悔しいと感じたことは一度や二度ではないでしょう。

ここで考えて欲しいのが、どうして「悔しい」と感じるのか、ということです。

僕なりの答えは、先ほど述べた経験で言えば、自分がサッカーを好きで東北大サッカー部というチームが好きで、好きだからこそ結果を残したくてそのために自分なりに努力していて、それでも達成できないからこそ感じるものだということです。自分が興味ないことや努力していないことに対して悔しさなんて感じません。

僕の大好きなサッカー選手である中村俊輔選手は、W杯のメンバーから落選した時にこう言いました。

「悔しいと思ったら、また強くなれると思う」

つまり、悔しいという気持ちはサッカーに対して本気であるほど感じるものであり、その悔しさを糧にまた努力することで上手くなれる、強くなれるということです。

僕は後期に向け、必死に戦術の本を読みDAZNでプロの試合を見てサッカーを勉強しました。日々の練習メニューも時間をかけて考えました。前期の試合を何度も見直しました。悔しいし苦しいけど、不甲斐ない自分が嫌だったし、後輩に1部リーグの舞台を残したかったし、当時のチームで結果を残したかった。

正直、この僕なりの努力がどれほどチームに影響を与えることができたのかはわかりません。後期の快進撃、5位という結果が僕のおかげだというつもりは毛頭ありませんし、間違いなく様々な要因が掛け合わさり、全員の努力で勝ち取った結果です。むしろ前期からもっとこうしていれば…、という思いさえあります。もしかしたら、僕が何もしなくても同じかそれ以上の結果が出ていたかもしれません。それでも、目標を達成した瞬間は心の底から嬉しくて、この感動や達成感は自分なりに努力をしていなければ感じることができなかったものだと思っています。

僕の成功体験を語りたいわけでは全くなくて、僕の経験をもとに、好きだからこそ本気だからこそ感じる「悔しさ」を糧に、歯を食いしばって努力することの大切さを伝えたくて書いています。

「好きで楽しいから頑張れる」というのは、人間誰しもそうです。

でも「好きだからこそ悔しくて、悔しいから頑張れる」という人は、それほど多くないように思います。悔しくて苦しい時、そこで諦めてしまった方が楽だから。うまくいかない言い訳、頑張らない理由なんていくらでも出てきます。僕たちはプロではないし、言い訳しても諦めても生活ができなくなるわけではありません。

でも僕らは、誰かにやらされているわけでもなくて、大学生になっても自ら望んでサッカーをしているわけです。これほど自分の時間があり、やりたいことがなんでもできるであろう大学生活でほぼ毎日ボールを蹴ることを選ぶような、サッカーが大好きな人間の集まりなわけです。そんな奴らが、自分の大好きなサッカーで悔しさを感じないわけがありません。

そんな悔しいという気持ちを大事にしてください。忘れないでください。悔しさを歓迎してください。悔しさこそ、楽しさと同じくらい、自分が強くなれる要因なのです。

もちろん、うまくいかないこと、結果が出ないこともあるかもしれません。それでも努力したという事実は変わりませんし、悔しさを忘れずに努力した人は必ず以前よりも成長しているはずです。その努力がそのタイミングでは結果に繋がらなかっただけのことです。

まだ見ぬ先のことを考えて努力をやめる前に、好きなら、望む未来があるなら、悔しいなら、言い訳せずに本気出せよ。

これが、僕がみんなに伝えたいことです。

偉そうなことばかり言ってしまってすみません。でもこれを読んでくれた人に少しでも僕の想いが伝わり、何かのきっかけになってくれたらこれ以上に嬉しいことはありません。

もうすぐ終わります。卒論は全然進まないのに、このブログはもう4800字も書いてしまいました。

僕は、サッカー以上に楽しいことをまだ知りません。そして東北大サッカー部で過ごした日々は、かけがえのない素晴らしい時間でした。

そんな部活でサッカーをする時間が残されている現役部員のみんなが羨ましくて仕方がありません。そしてそう思わせてくれたのは、間違いなく部員のみんなのおかげです。

4年みんな(?)が書いていますが、みんなと一緒にボールを追いかけたこと、試合に勝ってみんなで抱き合ったこと、飯や飲みにいったこと、遊ぶに行ったこと、アツい話をしたこと、くだらない話をして笑いあったこと、その全てが本当に楽しくて、本当に幸せでした。

サッカーを引退する最後の年に、こんなに素晴らしい時間を過ごすことができた僕は幸せ者です。感謝してもしきれません。本当にありがとう。

今年味わった悔しさを糧に、来年以降さらに強く、さらに素晴らしい部活になってくれることを期待しています。応援しています。

最後になりますが、僕を常に支え応援してくれた家族、小学生の頃からずっと応援に来てくれた親戚のみんな、これまでのチームメイトや指導者の方々、サッカーを通して関わった全ての人たちに、心から感謝申し上げます。

皆さんのおかげで、16年もの間、サッカーを楽しむことができました。

本当にありがとうございました。

遺言ブログも残り3人!乞うご期待ください!

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