おはようございます。米から指名されました横須賀です。
今週の活動報告は蔵さんがやってくれているので。感謝
米からのお題に答えます。
難しいです。彼からのお題は非常に難しいです。文学部の人はみんな彼のように言葉遊びが大好きなのでしょうか。しかしながら、彼のことを変人だと評する一方で、それをどこかかっこいいと思ってしまっている自分がいるのも確かです。悔しい。
それでは一つ目です。「人間存在の究極的な弱さ」
主観でいきます。私の思う人間の弱さは一人で生きていけないことだと思います。私は大人数でいるよりは比較的少ない人数で過ごすことのほうが好きです。一人の時間も大好きです。誰かと一緒に行動するということは、どんなにその仲が良くともストレスがかかるものだと思います。しかしながら、ずっと一人か、ずっと誰かと一緒にいるかのどちらかを選ばなければならないのならば、私はずっと一人で孤独に過ごすよりも、ずっと誰かといることを選ぶでしょう。確かに誰かといることはストレスがかかると思いますが、それ以上に楽しいと思いますし、そのくらい独りぼっちの時のあの寂しさとかみじめな感じは嫌いです。大学入学と同時に一人暮らしを始めましたが、初めの数か月間は、当然仲のいい友達もいませんし、もちろん家族もいませんし。もう寂しくて寂しくてキツかったです。軽くホームシック極めてました。私はなかなかにメンタルの弱い人物だとは思いますが、これを読んでくれた人もちょっとは共感してくれたのではないかと思います。まったく共感しない一人でも生きていけるような強メンタルの人もいるのでしょうか。なりたいですねーそんな人に。松木玖生のようなメンタリティーで一日を過ごしてみたいものです。もしいたとしたらケッケ(米)のお題に適切な回答ができていなかったということで陳謝。おそらくそんな人はいないでしょう。ってことで私の思う人間存在の究極的な弱さは「孤独に勝てないことです」以上!マジでこのお題にこたえるのにどれだけの時間を費やしたことか、ムズイて、彼にはもっと相手のことを慮るお題を出してほしいものです。
次!
二つ目です。「蹴球部への愛情」
そうですね。私の仙台での生活はこの蹴球部なしでは語れませんよ。そのくらい私は蹴球部に依存しています。愛=依存ですからね。つまり、私は蹴球部を愛しています。私はまだ蹴球部に在籍してちょうど二年くらいですが、いやー思い出がもうたくさんですよ。それが何かと言われたらそれぞれを具体的に思い起こすことはできませんが、良質な思い出ほど記憶に残らないものだと私は思っています。記憶に残らないは嘘ですね。なんか大切な記憶過ぎて、頭のめちゃめちゃ深いところで厳重に保管されてて、結果として思い出せない的な感じなんじゃないかなと愚考します。畢竟、私が蹴球部の奴らとの存在するはずの輝かしいあまたの記憶を今簡単に想起し書き記せないということは、それほど蹴球部での思い出が私にとって大切な記憶だということです。米のお題は「蹴球部への愛情」でしたね、このお題にはどう答えればいいのでしょうか。愛情の有無を問われているのか、はたまた愛情がどのようなものであるかを聞かれているのか。愛情の有無については上記で述べた通りです。蹴球部への愛情がどのようなものであるかは難解ですね。とにかく私の蹴球部への愛情はめちゃくちゃ深いです。もう深すぎてメンヘラです。
畢竟、この言葉にはまっています。「つまり、結局は」って意味です。この言葉からは知性を感じます。この言葉を使うだけで頭がよくなります。みんなは使わないでください。ところで、今学期も私は部活になかなか参加ができなさそうです。建築設計B1、B2が木曜金曜の五限に入っています。今度は小学校の模型を作るそうです。今回もかなり厳しい戦いになることが予想されます。何かいい案がありましたらぜひとも私の模型製作の一助とさせてください。
次は飯島蒼大に渡します。テーマはベタに「サッカーへの思い」「自身の将来像」でオナシャス。あなた、今セメ1限だらけらしいですね。かわいそうに。