【遺言ブログ④】 『東北イズムとは、何だ』


 こんにちは!
 法学部4年の原 雄飛です。遺言ブログリレーも4人目になりますが、どうぞもう一稿お付き合いのほどお願いを致しまして。

 大学サッカーを引退して早1ヶ月、無限とも思える時間を手にしているわけですがサッカーをしたいと思う余裕もないほどに充実した毎日を送っています。何をしているかというと読書をしています。大学生活を振り返って本を全く読んでこなかったなあと。単位のために法学関係の本はペラペラとめくることはありましたが、自分の興味の赴くままに小説だったりなんだりを読み漁るということがなかったと思って今はひたすらにそういう時間を過ごしているわけです。

 何を書こうか非常に迷いました。悩みに悩んだ末、現役部員へのメッセージとキーパー陣へのメッセージの二本立てにしようと思います。長いことが予想されますが、これでサッカー部員としての活動も終わりなので是非最後まで読んでいただけたらなと思います。5分もあれば読めるはず。たぶん(笑)

[後輩たちへ]
 4年間を振り返ってみると、自分の在籍した2017年から2020年は長い東北大学サッカー部の歴史の中での一つの大きな転換点だというふうに感じます。

 1年目のサッカー部の印象をあえて誤解を恐れずに一言で表現すると「THE 体育会」な部活。このときの先輩方は大学サッカーの大部分を土のグラウンドで練習してきました。凸凹なグラウンドで思ったところにパスが出せない。雨の日は練習ができない。大学生になってまで泥に塗れてサッカーをしたくないという気持ちからサッカー部に入る新入生も少ない。恵まれない設備、限りある戦力といった思い通りにならない環境(3K:きつい・汚い・かっこ悪い)の中、試行錯誤の末掴んだ『東北大学サッカーリーグ 1部』。その舞台で戦う初めてのシーズンでした。しかし仙台大学には12点もとられ惨敗。富士大や東北学院にも大きな差を見せつけられ敗戦。ただ気持ちを前面に押し出して身体で守り、セットプレーで1点をもぎ取るサッカーで勝ち点を拾い続けました。そして入れ替え戦まで縺れ込み、山形大学に勝利して1部残留。入れ替え戦に勝利した後撮ったチームの集合写真の笑顔が印象的な、泥臭くも熱い気持ちを持ったチームだったと記憶しています。
 2年目のシーズンは去年の経験をもとに満を辞して5位自動残留という目標をもってリーグ戦に臨んだもののシーズン前半でたった勝ち点4しか獲得できず最下位に沈み、苦しかった思い出があります。今年は降格してしまうかもしれない。(残留するにはシーズン通しておよそ勝ち点12が必要だった。)チームとして自信を失う中で首脳陣を中心に夏の中断期間にカウンターを中心とした大幅な戦術変更に取り組み体勢を整えて臨んだ結果、後期一発目の東北学院との試合で4−1の大勝利を掴みました。その後も快進撃を続け、八戸学院を倒し、岩手大学や東日本をボコし、富士に善戦を演じ結果的に勝ち点17を獲得し、自動残留の5位。(東北学院戦の後、港さんと飲んだ時に溢れ出ていたキャプテンとしての苦悩は今でも忘れられません。笑)そしてこの年にはもう一つ、部の理念である『enjoy football』を、部員全員で何度も話し合い決めました。この時の思いを自分の言葉で言い表すのは難しいので、洸太さんの遺言ブログを引用させてください。
http://hyojosoccer.com/2018/11/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%A8%E4%BF%BA%E3%81%AE%E5%A4%A2/
「俺らもやればできるじゃん!」という東北1部リーグで戦っていく自信を手にし東北を牽引するチームになるべく一歩を踏み出した、そういうシーズンでした。
 3年目。この年は『俺たちが楽しむ 皆を楽しませる』の両方の側面で大きく飛躍したシーズンであると記憶しています。リーグ3位を目標とし、小山キャプテンのもとで班制度が始まりました。サッカー面では特に分析班が機能し、1部リーグでは史上初めて富士大を撃破しました。前期岩手大や後期東日本国際といった厳しい試合でも終了間際に得点して勝ち点3を取り続け、シーズン終盤までインカレ出場権が手の中にありました。しかし結果的にはインカレ出場は果たせませんでした。ただチームとして戦えば大きなことを成し遂げられるかもしれない、エリートのいない俺たちが全国に出られるかもしれない、そういう可能性を強く感じ、夢を見ることができました。一方で東北の高校生を川内グラウンドに招待しサッカー大会を開くことで東北地方へ貢献していこうとする、みちのくサッカーフェスティバルが初めて開催されました。さらにSNSの広報活動やホームページの充実など、『皆を楽しませる』面で多くの部員が活動しました。班活動に関しては菅野さんの遺言ブログが非常に印象的なので読んでない人は読んでみることをお勧めします。
http://hyojosoccer.com/2019/11/%E3%80%90%E9%81%BA%E8%A8%80%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E2%91%A0%E3%80%91%E6%83%B3%E3%81%84%E3%82%92%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%82%8B/
 そして4年目。今年はみんなが経験した通り、コロナ禍ということで活動自体が制限されました。いつサッカーを再開できるかもわからず、リーグ戦に向けた準備の時間も十分に取れない中で、海音が中心となってチームを作り上げてくれました。リーグ戦の試合数が半分という短期決戦の中で、「いかに勝つか、いかに勝ち点を取るか。」そこに今まで以上に焦点が当てられていたと感じます。一方で多くの不確定要素の中で、自分たちが生み出せる価値について考えた年なのかなとも思います。その結果が例えば、皆を楽しませようと部員が難しいリフティング技に挑戦する動画をTwitterで発信したリフティングチャレンジで、1万6千回近くの再生数を記録したことだと思います。また広報班と分析班、審判班など様々な班が連携して新歓を行い多くの新入生を迎え入れることができたのも本当に凄いことだと思いました。そういう意味で今年のチームは大きな難しさの中でベストを尽くしたと感じます。

ふぅ〜。と
ここまで読んできてもらってかなり疲れたと思います。もう少しですのでお付き合いください。

なぜ遺言ブログで事細かに歴史を振り返ったのか。

自分は率先して何か行動を起こしてきたわけではありません。
だからこそ自分が見てきたサッカー部の姿を文章として残し、「思い」を継承することに多少なりとも意味があるのではないかと思いました。

自分が4年間、在籍して感じた、皆の共通する「思い」は

サッカーが好き。
仲間が好き。
東北大サッカー部が好き。

これだけです。

そして
サッカーが好きで勝ちたいと思ってる。
仲間のことが好きで分かち合いたいと思ってる。
東北大サッカー部が好きで東北を牽引する魅力溢れる部にしたいと思ってる。

そう思って1部リーグでインカレを目指して戦ってきたし、班活動で新しい試みを企画して実行してきました。

これから先、東北大サッカー部が飛躍していく中で難しい局面がきっとある。なぜならこれから目指すものは先輩たち、自分たちが今まで目指して手が届かなかったものであるからです。

絶対に勝たなければならない試合で点が取れない。新しい企画を試みてもたくさんの障害があって実行できるかわからない。

そういう時、この「思い」を心の片隅に置いておいてほしいと思う。

受け継がれた「思い」は必ず大きな力になって後押ししてくれるはずです。

頑張ってください!期待しています。        
Enjoy Football !

[キーパー陣へ]

ゴールキーパーは1センチが命取り

ゴールキーパーを始めた中学生の頃、松永成立の入門書を読んだ時この言葉を目にした。

ほ〜んという感じ。

意味がよくわからなかった。ただシュートを止めるのが楽しくてキーパーとしてプレーしてきた。試合に出てシュートを止めてみんなに頼られて。それが嬉しかった。

大学では祥太郎という強いライバルがいた。自分の価値を感じるためにスタメン争いに勝って試合に出たかったから、例えば練習でポストシュートになれば祥太郎よりもたくさん止めていいセーブする。そういうところを目標にして練習をしていた。うまくアピールできて試合に出られればテンションが上がった。今考えるとそういうモチベで練習していたから、常に不安定だったような気がする。

3年目はなかなか試合に出ることはできなかった。ただ試合に出られないという状況も理解できるようにもなってきて、祥太郎の方がいいプレーをしているからと納得できて、だからこそチームが勝った時には嬉しかった。

ただこれでは終わりたくないという気持ちもあって、4年目はキーパーとしてのプレーの「正解」を見つけることを目標にした。

キーパーは一般的に、ミスが許されず責任の一番大きいポジションだと言われる。

だけど逆に言えばフィールドのどんなところで相手がボールを持っていたとしてもすべてのシュートが自分を通過してゴールに入るわけだから、正解のプレーが絶対にある。(ということを4年目に発見した。)

極端に言えばシュートを止められなかったとしても、正解のプレーもあるということだ。物理的に届かないところもあるわけだから、考えられる選択肢の中でベストのプレーをできていたとしたら、それが正解になる。

ポジショニングに関して言えば、飛んでくるシュートに対して止めることのできる『確率』が一番高いポジションが、広いフィールド内で必ず一点に定まる。

そういうことを理解してから、構え方、足の歩幅、重心の位置、タイミングの合わせ方など色々なパターンを試した。

特に祥太郎や鬼沢を見て、体の使い方や一対一の出るタイミング、クロスの時に取るべき位置を学んだ。彼らの一つ一つのプレーを細かく観察して、それが正解に近いプレーだと感じれば納得できるまで考えて理由づけをした。そういうことをすると今まで何気なく見てきた彼らのプレーから自分が今まで知らなかった世界を知ることができた。

次に踏み出そうとしているそのステップ一歩が果たして正解の一歩になるのか、そこを丁寧に考えた。

だからこそ4年目が今までのサッカー人生の中で一番キーパーとして成長できたと自信を持って言えるし、何よりサッカープレイヤーとして楽しかった。

そういう意識で練習を続けて臨んだ仙台大戦。89分相手のコーナーキック。相手の11番人見の合わせたシュートが自分の中指の第一関節を触ってゴールイン。今でもその時の感触が鮮明に蘇ります。

仲間のブロックにも助けられ、自分も納得のいくセーブをし、仙台大を1失点で抑えることができたのは自分にとってチームにとって大きな収穫の一つではありました。でもその1失点の時、果たして正解のプレーをできていたのか。

キーパーは1センチが命取りという言葉を身に染みて実感しました。

長々と書いてしまいましたが、何を言いたいのかというとキーパーのみんなには是非『正解』のプレーはなんなのか、そこを追求していって欲しい。

東北大のサッカー部にいる以上、正解のプレーを知っている人はいません。ただ限りなく正解に近いプレーをしている場面というのはあると思います。だからこそ「なぜそのポジションなのか、なぜ次の足はそこにお出すのか」と議論し、失点したとしても納得のできるプレーを見つけていって欲しい。

今はスタートラインは同じです。誰が出てもおかしくはありません。三輪さんが言ってたように、「知っている人が伝える」ことで、お互いに学んで成長して欲しいと思います。

最後に。
鬼沢、君は自分が一緒にプレーしてきたキーパーの中で一番技術的にうまくて正解のプレーをしていることが多かったと思います。学ぶことが多かった。身長という欠点を補うために自然と身についていったんだと思います。だからこそ自分の持っている経験とか考え方とかを言葉にして自信を持って伝えていって欲しい。(練習中大声を出して盛り上げるのもいいけど笑笑)自分たちがしてあげられなかったことをお願いするのはおかしな話ではあるけれど、東北キーパーが強くなるためにどうか宜しくお願いします。

[さいごに]
真剣勝負のサッカーはこれで一旦終わりになります。

18年間の中で素晴らしい経験をさせてくれた仲間たち、人間的に成長させてくれた祥太郎、キーパーへの転向を勧めてくれた木田先生。

そして思う存分サッカーをやらせてくれた両親。

本当にありがとうございました。

これからもなんらかの形でサッカーと関わって日本サッカーの発展に貢献していきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください