プッチ


こんにちは。香川君から指名を受けました、昨日自宅アパートの敷地内に置いていた自転車を盗まれた山川力輝です。原付は壊れたため八木山から下山する手段を断たれたので、いっそのこと下山せず山にこもって修行でもしてやろうかなと自暴自棄になっております。ブレーキの効きの悪い自転車だったので、盗んだ人がどっかの壁にでもぶつかって怪我をしないことを願うばかりです。元気にお過ごし下さい。ところで、香川君はback numberやsaucy dogを聞いているとのことでしたが、私はクラシックを爆音で聞いていると予想していたので、ちょっと意外でしたね。

 

まずは活動報告です。

先日3/22より待ちに待った全体練習がようやく再開しました。再開前に行っていた少人数制のグループ練習よりも、練習メニューの幅も広がりましたし、何よりもチームメイト全員と会って一緒にサッカーをする喜びを噛み締めた次第であります。また、マネージャーの方々にも久しぶりにお会いして、マネージャーがいるとやはり練習が円滑に進むなと改めて実感しました。

 

ここから香川君のお題に答えていきたいと思いますが、「1年生のブログ短くね」との声があり悔しかったので意地でも長く書きます。

 

まずは自己紹介から。私は山形県で生まれ育ちました。サッカーは地元のスポ少で小学6年生から始め、中高も部活として続けて現在に至ります。山東(やまとう)こと山形県立東高等学校卒業後、3年間の浪人生活を経て東北大学薬学部に入学しました。部員の中にも、山東サッカー部の同期や、元後輩であり現先輩もいます。ややこしくてごめんなさい。なぜそこまで浪人をしたのか聞かれることがありますが、理由は多々あります。しかし、一番の理由は目標を達成したいという思いでした。私の人生を振り返った時に、自分で言うのもなんですが、目標に向かって熱意を持って取り組んだ経験は多くありましたが、目標を達成した経験がないことに気が付きました。このままでは負け癖が付いて、今後も目標というものを達成できず、全てをうやむやにしてしまうのではないかという思いが強くありました。ちょうどその頃が大学受験と向き合う時期でした。その目標は何でも良かったのかもしれませんが、私にとってのそれは大学受験でした。こんな私でも、努力がある程度正当に評価されやすい大学受験が数少ないチャンスなのではないかと思うようになりました。この考えが根底にあり、3年間の浪人生活を過ごすことになりました。何はともあれ、家族の理解と支えには心の底から感謝しています。

 

ここまででも少し長くなりましたが、まだまだいきます。次は今年の抱負です。

 

ピッチ内での今年の抱負は、勝利につながる結果を残す選手になることです。今年は個人としてもチームとしても勝負の1年になるので、もちろん内容は重要ですが、結果だけにフォーカスしていきます。それもただ結果を残すだけではなく、その結果によって勝利を掴める選手を目指します。ピッチ外での今年の抱負は、勉強を頑張ることと彼女を作ることです。前者に関しては、今年から専門科目の数もかなり増えるので、しっかり学びたいと思います。後者に関しては、多くを語りませんが頑張ります。

 

次に副主将に選ばれた時の気持ちと感じたことについてです。

ありがたいことに、新たに副主将という役職を担わせて頂くこととなりました。選ばれた直後の気持ちは、自分でいいのだろうかという不安と申し訳なさでした。しかし、このような気持ちを抱いていては、選んで下さった方に示しがつかないと徐々に思うようになり、もう決まったことなのだから全力でやろうと考え直しました。現在も、まだまだ未熟ではありますが、先輩に教わりながら私がチームに貢献できる形を模索していきたいと思っています。首脳としての活動が始まって数ヶ月が経ちますが、一番感じたことは影での支えです。ありきたりな表現かもしれませんが、これは本当に身に染みて感じます。例えば、主将の仕事量の膨大さや大変さ、各班の仕事の細かさ、OBの方からの支援など、それら全てが今まで把握していたことと乖離していることを実感しました。それら1つ1つによって、学友会蹴球部が成り立っていることに感謝しなければいけないと思えるとても良い機会となりました。

 

ここまでお題に答えてきましたが、もう少し長く書くために、部員にもあまり話してこなかった自己紹介の延長を記したいと思います。長く書くことは自己満なので長えよと思われる方はここで読み終えて頂いて構いません笑

 

自分のアイデンティティを改めて考えた時に思いつくのが、二つほどありました。一つ目は実家が駄菓子屋であること、二つ目は父親がテツ and トモのトモさんの元相方であることです。一つ目に関して。私の祖母は山形の家で約60年間、駄菓子屋を営んでいます。幼い頃から祖父母と同居していたため、実家が駄菓子屋ということになります。友達からは羨ましいなあと言われることが多々ありましたが、実際そんなことはありません。確かに、食べたい時に駄菓子を食べることはできましたが、自分の家に常にお客さんという他人がいるのです。帰宅した時も、家でゆっくりしたい時も他人がいるのです。しかし、自然と友達が来たり、多くの人との交流を持つことができたので良かったのかもしれませんね。二つ目に関して。父はテツ and トモの青ジャージのトモさんの元相方です。幼い頃は少し恥ずかしかったですが、徐々に誇るべきことの様に感じ始めました。2人は日大山形高校で出会い、芸人を本気で目指していました。2人は上京してコンビを組みましたが、就職を機に私の父は芸人の夢を諦め山形に戻りました。トモさんはその後赤ジャージのテツさんとコンビを組み、後に一世風靡をしました。あの時、父が山形に戻らなければ私が産まれていなかったことを考えると、感慨深いですね。以上が私のアイデンティティでした。

 

長さ的には十分かなと思うので、以上で私のブログを終わりにします。ご精読ありがとうございました!

 

次は、昨日肉離れをしてしまった児玉司君にお願いしたいと思います。お題は自己紹介とサッカー愛についてです。よろしくお願いします!

 

それでは!

 

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